留年した大学生のブログ

貴方の為になることは何も書いてません。

教会に集まる乞食

えてして宗教というのは弱い人間を対象に作られるもんやと思っている。

 

キリスト教、仏教、イスラム教、今日の三大宗教は全て美しい理想をうたい、弱いものに支持されて、支配者から嫌悪弾圧されてここまででかくなってきた。

 

今日では科学の発展や国家の働き、各種NGONPO等がその代わりを担い日本はすっかり宗教に頼らなくとも良いシステムができあがった。宗教の相互扶助の役割は消え失せ、今や冠婚葬祭等儀式のため、観光により海外からの外貨を稼ぐために存在しているようである。

 

東京ゴッドファーザーズという映画がある。3人のホームレスが乳児をクリスマスに拾いてんやわんやするという話なのだが、その主人公のホームレスが炊き出し目当てに協会に行き説法を聞くという場面がある。そーゆーのってどっかのボランティア団体がやるんじゃないのかという疑問はさておき、このタダ飯目当てに教会に行き説法を聞くというのがその映画的にも、この日記的にも後の話に繋がってくるのである。

 

飯目当てに教会へ、とある学校法人でもおんなじことが行われている。教会で話を聞くと紙切れが一枚もらえる。それがキリスト教系の講義の平常点にプラスされるのだ。そのため教会はいつも若い学生でパンパンだ。みんな平常点のためにわらわらと集まっているのである。前の方にはおじさん達がいる。何故きているのかは全くわからないが、学生よりも真面目な目的であるのだろうと推測している。若い女学生を見にきているのであれば警備員は無駄飯食ってないでとっととつまみ出してほしい。とにかく単位乞食と謎のおじさんで溢れた教会で牧師?神父?のおもしろいかおもしろくないかよくわからない美しい理想である神様の話を聞き、現実の助けになるであろう紙切れをもらう。

 

みな必死なのである。弱いホームレスが炊き出しを腹の足し明日への糧にするように、弱い学生は今日も紙切れを受け取る。